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悲劇の台湾総統選挙⑩~これからの台湾と選挙制度~

さて、⑩回と言う長文になってしまった今回の訪台報告ですがこの辺りで一旦締めとしたいと思います。
今回このような悲劇的な選挙結果が出ることは、日本国内では前々より口にされていた事でした。特に、陳水偏総統を台北市長選挙にて破った
馬英九の存在は、台湾民主化を願う多くの国内外の支持者にとっては脅威でした。
以前、小林よしのり先生が『台湾論』の中で、李登輝前総統を『公の人』と評しましたが、それに沿えば馬英九はまさに『私の人』です。
彼は自身の勝利と、利益の為であれば己の行動・言動などは何の意味も持たないようです。台湾語が殆ど分からない私にとって、彼の演説の内容はその場で理解することは出来ません。
ただ、私は日本で年齢の割には多くの演説を聴いてきたと思いますが、そのどれよりも心に響かない、心の籠っていない演説であったなという印象は感じました。何か、作り物のような、とにかくその場で賛美を受けられればそれで良いような、それが彼の演説から受けた印象でした。
後に内容の説明を受けましたが、その印象は間違っていなかったと思います。日本語で言えば『朝令暮改』というその内容を聞くと、これが一国の宰相を目指す者の言動かと、呆れると共に、それを許してしまっている台湾に憤りさえ感じます。

まぁ、この印象に関して言えば、私の中国共産主義の走狗、台湾の敵「国民党馬英九」というイメージが付きまとっているので、正確ではないかも知れませんが、私個人はそして私の周りにいた幾人かはその様に感じたということを述べさせて頂きます。

さてさて、今回の訪台は私の今までの台湾訪問の中で一番長い期間となった訳ですが、同様にここまで台湾の選挙というものに興味を集中して訪問したことも初めてでした。
それまでの、訪台ではぼんやりと感じていた事柄が割とハッキリと見えてくるようになります。

世界一の金持政党と言われてきた国民党(たび重なる買収、選挙活動への費用の使い方)
台湾選挙制度の未成熟さ(民主主義選挙ではない)
市民の政治に対する感情(私的部分が増大している)
アジアにおいての中国共産党というもの(覇権拡大主義達成の為に緩急織り交ぜた戦略)
悲劇や恐怖と人の感情の移り変わり(過去の国民党への恐怖は?平和というものの恐ろしさ)
台湾人の人の良さ(何故、あれ程の蛮行をした人間達を信じ、許してしまうのか?)
日本においての台湾の重要性(シーレーンなどの経済的面はもとより、精神的な部分においても重要)

等々

特に、選挙制度の不公平さについては強く感じるところがありました。
国民党における直接的な票の買収というものに関しては、未だ慣例として続き1票が1000~1500NTD(圓)、日本円にして3500~5000円程と言われていますが、国民党の買収はこれだけに止まりません。
前に書きましたアゴアシ付きの集会に参加すれば1000NTD(圓)、友達を1人誘えば500NTD(圓)、投票に一緒に行って指示通りの投票をさせれば○NTD(圓)、投票所の前で民進党に誰が入れたか監視し報告すれば○NTD(圓)など噂(ただし、実際に誘いを受けた人からのお話ではありますが)をあげれば切りがありません。

特に、最後に書きました投票所での監視・報告というのは中国共産党・国民党に受け継がれた最大の悪習、密告制度の再来であり、戒厳令下ではこの制度によって多くの台湾を愛する国民が国民党政権によって投獄・処刑をされた。

国民党の支持者は、投票は無記名投票であるし、既に民主主義選挙が確立された台湾にとってはその様なことは起りえないと言い、人によっては、台湾は直接選挙で総統を選ぶので間接選挙で総理を選ぶ日本よりもより民主的な国家だなどと放言する者さえいる。

ちゃんちゃらオカシイ、ならばつい先ごろの立法委員選挙で行われた数々の違法行為はどう判断すれば良いのか?
地方自治の大多数を握る国民党によって、立法委員選挙と同時に行われた国民投票の用紙が地方各所投票所において配られなかったという事実があるではないか?つい半年前の事件である。

尚且つ、今回の選挙においてはこの違法行為は抑えられることなく、むしろ国民党全体によって推進されたではないか。

今回の総統選挙においても国民投票は同時に行われた。しかも、今回の国民投票は民進党からだけではなく、国民党からも議案が提示されたのである。ここまでは、相反する政策を持つ両党からすればオカシクは無い。しかし、事件はその後に起る。なんと国民党は今回の国民投票においての用紙受け取りを拒否するように指示を出し呼びかけたのである。
国民党自身が議案を出しているにも関わらず、このような対応をしたのには、大きな理由があり、またこの事実が国民党の本性を覗かせたことであるので注目をしたい。
国民投票の用紙は、投票所において総統選挙の投票用紙とは別に手渡される。手渡される用紙は受け取りを拒否することは出来るが、受け取った際にそれを廃棄することは出来ないのである。
つまり、国民投票の投票用紙を受け取った時点でその投票者は民進党であると判断される。これによって無記名投票という意味合いは失われ、台湾においての民主主義選挙は事実上崩壊するのである。
今回の訪台において街中で、民進党の旗を持っていた女性が国民党の選挙車が通った時に旗を隠した姿を目撃した。何故かと聞くと「国民党の車が通ったからよ。何をされるか怖いじゃない。」と答えた。
これは一例に過ぎないが、「99人を誤殺しても1人を逃がすなという言葉のもと、手の平に針金を通して人を繋ぎ処刑し、耳や鼻を削ぎ落とし拷問した後に麻袋に詰めて川や海に投げ捨て、市中を車で引き回し、街中や港には見せしめ処刑した人々を放置し、2週間で3万人近くが虐殺された228事件(当時の台湾人で200人に1人の計算)。また、38年という世界最長の戒厳令下で14万人という人間を逮捕投獄した国民党の独裁支配は未だ拭うことの出来ない恐怖として残っていることは確かだ。
無記名投票で無くなったということは、特に国民党に支配された地方において同党に監視された中での恐怖に怯えた投票となる。
この恐怖心を利用し、多くの監視の目のもとで無記名投票を有名無実化するという選挙戦略をとった国民党と馬英九を、民主的な選挙で選ばれた総統ということが出来るだろうか?

それは、大きな疑問符がつく。

民主主義選挙で選ばれた、民主主義国家の総統であるというならば、国民党は何故このような違法行為を推進し、また不在者投票や在外投票、投票時間の延長等、より多くの国民の意見を聞く選挙制度を拒否し続けるのだろうか?
今回の選挙によって一部の支持者の意見のみを優先し、一部の権力者の利益のみを追求する超私的国家=まさに共産主義国家への変貌の道を辿るだろう、それは結果として中国への吸収を意味する。中華民国の台湾化を目指していた台湾が逆に中国というブラックホールに引き摺りこまれるような危機に瀕している。

日本は、台湾に繋がった一本の綱を持っていると思う。それは、日に日に細くなって、今は紐となりいつかは糸の様なものに成ってしまうかもしれない。だが、綱を離してはならない。この綱を離せば、台湾は途端に中国と言うブラックホールに引きずり込まれる。そして、残ったのはこの日本を気付かぬうちに雁字搦めにしている中国からの縄だけだ。台湾亡き時には、日本は抗すことも出来ずにこの縄で引きずり回され中国に吸収される。

台湾の今は良くも悪くも日本の未来であり、台湾無くして、日本無くしてアジアの明るい未来など存在し得ないだろう。

今ある危機を、自らのものと認知し、共に闘う姿勢を日本は持たなければならない。残念ながら、日本の国の首相は中国に媚びへつらっている
のが現状だ。しかし、思い出して欲しい、未だ道半ばではあるが私が関わった北朝鮮による拉致被害者救出運動も国の首相は同様に北朝鮮に媚びへつらい、中国に組み敷かれ身動きの出来ない状況であった。それを、一歩、今一歩と前に進めたのは国民の勇気と行動、そしてそれを助け共に闘った地方の有為な政治家や経済人であった。

今、国同士の持った綱が危機に瀕しているが、その分、地方自治体の、民間の持っている綱を強く握り、編みこみ太くしていけば良いのである。日本の政治家、経済人、国民にはその力と勇気があるはずだ。

この報告を読んで下さった方が、自分の掌にある台湾との糸に気が付いてくれ、離さぬようにその手を強く握り締めて下さったとしたら、台湾を愛する一人として深く感謝をしたい。また、政治家や経済人の皆さんがその一人一人の糸を束ね、台湾の再起、ついては日本のアジアの平和の為に動いて下さるのだとしたらそれに勝る喜びは無いのである。

最後に、この長文を更新ごとに読んで下さった方、コメントを下さった方々に深く感謝をして今回の報告は終わらせて頂きたい。

台湾頑張れ!

台湾頑張れ!

台湾加油!!

台湾加油!!
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悲劇の台湾総統選挙⑨~悲劇の瞬間=国民党の勝利~

遂に投票日の朝を迎えた。
台湾では本籍地での投票が決められている為に、カオルは朝早くから一家で台中へ

僕らは、いつもより少し人の少ない台北の街を散策した。
今日の結果如何で、もしかしたら民主主義国家の台湾とはお別れかもしれないと思うと、この街が堪らなく愛しい。

昼食を食べようと街角のお店に入り、メニューを色々と質問すると、お店の方が「待っていて、おばあちゃんを呼んでくるわ」と言って下さり2階へ。暫くすると、日本語ペラペラのご婦人が親切にご説明下さった。「日本から来てくれたの?」「あちらは如何?」「台湾は好き?」「昔はね・・・」と様々なお話をして下さった。
またご婦人は投票にはもう行ったが、「16時までの投票となると労働者にはとても行きづらいのよ。公休が取れる大きな企業ならともかく、自分でお店をやっている私達にはなおさら大変、民進党は平気かしら?」とお話していた。

昼食を済ませて台湾維新事務所前へ、ドアは閉まっているが前に沢山の緑のテントが張られ、中で若い学生が作業をしている。
昨日お会いした劉さん、唐さんにご挨拶をと思い、学生スタッフに話しかけると電話をかけてくれ日本語の分かる人が来るのでお待ち下さいとしっかりとした対応をしてくれる。
スタッフが降りてくるまで待っていると、日本語の分かるご老人が話しかけてくれる。TVを見て、「投票率が上がっている、何とか民進党が頑張って欲しい」とお話し、また「日本は最近どうですか?」などとご質問もして下さる。西村眞悟先生、平沼赳夫先生のことをご存知で「素晴らしい政治家だ」と評してらっしゃったのが記憶に残る。

さて、日本語が分かるスタッフの方が降りていらっしゃったのでとのことでテントの中へ。
ところがこのスタッフの方が大変で、全く話を聞いてくれない「昨日は劉さん、唐さんに大変お世話になった。集会は金美齢先生と伺い、お電話では話したが、集会中にはお二人とお会いできなかったのでご挨拶をしたい。」と言ったら、「なら、金先生と来てください。そうしたら、中に入れてあげます」と全くの支離滅裂な答え・・・。
もしや、余り日本語が通じていないかな?とゆっくりお話するが「忙しいから、早く金先生を連れてきたら?」と同じどころかドンドンと失礼な対応に・・・。腹が立ったが、ここで騒いではいけない、きっと通じてないんだと御礼を言ってその場を後にすると、暫くして唐さんがいらっしゃり、駆け寄って来てくれた。
「来てくれたんですか?有難う」という言葉に、あのスタッフ伝えてないんか~いと思いながらも、再会の握手。
あのスタッフの方に誤解を与えてしまったのかも知れない。ごめんなさいと伝えると、

「あ~、サカイさん」

ん?ちょっと待て?サカイ?サカイさん?

「ひょっとして彼は日本人?」と尋ねると、「そう、日本人の方ですよ」との答え、

「じゃあ、全部通じてるのかっ、彼が話を聞かずに失礼千万な人間と言うだけね」と怒りが込み上げると共に本当に情けない気持ちになった。今回の台湾で最も失礼な人間が日本人か・・・。台湾の学生の方が余程丁寧でしっかりと対応してくれた。日本の保守派の会合では、スタッフとなった若者が主催者側ということで何故か横柄になり、参加して下さっている方に失礼な対応をとってしまうことは良く見受けられることだが、海を渡ってまで日本人の恥を晒しているのかと思うと怒りを通り越して情けないし、申し訳ないし、悲しい思いだった。

さておき気を取り直して、唐さんに御礼を言って少しお話をする。
「投票率は少し上がりそうだが、82%を越えないと民進党には効果が無い。心配だ。」と言っていた。総統選挙の投票率は前々回、前回共に80%を越えてはいるが、確かに若干の投票率の下がった前回の選挙では0.228%(3万票弱)の差と民進党の辛勝であった。苦戦の様相を呈している今回は更に投票率のUPが必要とされるだろう。
そんな話を少しした後に、「忙しいでしょうから、また夜に笑顔で再会しましょう」と言って唐さんと一度別れ、選挙事務所前交差点に準備されたステージを眺めていると、唐さんが向こうから駆け寄ってくる。
「関口さんに紹介したい」といって一人の女性を連れて来てくれた。彼女は日本・アメリカに留学した後に今年日本で就職をした方で、今回は投票に帰って来ていると言っていた。「外国にいる台湾人にとって、投票にくるのは大変だけど、愛する祖国の為だから頑張って来てます」と仰っていた。今の日本の新卒にこれほど祖国のことを大切に思っている若者がいるのかな?いや、そもそも日本を愛していると胸を張っていってくれる若者がいるのかな?と思うと、彼女のような、また今回の総統選挙で民進党スタッフや集会参加者に特に目立った(祖国を愛する)若者たちを有するこの台湾という国を羨ましく感じた。

彼女とも暫く話した後に、一度仕事を済ませにホテルへ。

16時に投票箱が閉まり、17時にもなるとテレビでは開票状況が映し出される。
やはり、国民党のリード。強いはずの台南・高雄でさえ民進党が苦戦している。テレビでは台中の市長が国民党のリードを喜び、笑顔でインタビューに答えていた。
仕事そっちのけでテレビに釘付けになること2時間、余りにもあっけなく体制は決してしまった。最早、追いつくことの出来ない大差が画面に映し出される。台湾の民主主義は、この時民主主義によって否定をされてしまった。

暫くして、ホテルの部屋を出て選挙事務所前に、途中で目を泣きはらした若者に多くすれ違う。程なくして、この視察中一度も降らなかった雨が激しく台北の街を濡らした。

民主主義によって民主主義が排斥された日、この島は泣いていた。


まだ×8続く

悲劇の台湾総統選挙⑧~台湾維新事務所と最後の大集会~

台湾三日目、朝の自由時報には西村眞悟先生と加瀬英明先生のインタビューが載る。
他の記事を見回すと昨日に、李登輝前総統の謝長廷候補の支持が表明されたはずだが、不思議なほどその事が殆ど触れられていない。大ニュースではないのだろうか?街にはまだその事実を知らず「李登輝は裏切った」と嘆く声がまだ聞こえる。台湾に着いて、最初に聞いた違和感がこの言葉だった。
日本にいる私達にとって台湾独立の象徴的存在の一人である彼の悪口にも似た言葉が民進党の支援者から聞かれた。

「彼はもう台湾を裏切ったんだ」
「心変わりして裏で馬英九を支持している」
「自分の命が惜しくなって国民党に寝返ったんだ」

しかし、その言葉を口にする人は、憎み罵倒するといったようでなく、どちらかといえば、悲しみ落胆しているように感じた。
そして、口々に「何故、李登輝は16日に私達の前に顔を出してくれなかったのか」と嘆いていた。
その彼らの待ち望んだはずの「李登輝の支持表明」が彼らに届くのには余りにも時が遅すぎたのかもしれない。
この事は、この日の夜に金美齢先生とお食事をした時にも、先生が同じ事を仰っていた。「遅すぎる・・・」これが、彼を信じ、台湾の民主化、自立独立を願う人の本心だったと思う。

夜の話はまた後にして。

さて、中山駅から少し歩いた所にある民進党の選挙本部「台湾維新事務所」に到着。事務所前には多くの支援者が集まり、中にも多数の支援者がいたが混雑しているという感じではなく、昨日の「逆転勝本部」のような熱気も感じない。少し、肩透かしのような雰囲気だった。これは、帰国後に台湾に行っていた方が口にした「前回と比べて余りにも事務所に支援者が少ない」というコメントに相違ない状況であったのではないかと思う。言葉で表現するのは難しいが、グッとくるものを感じず、悪く言えば冷静な冷ややかな空気さえ感じられた。

しかし、中には熱い支援者も当然居て、僕らが日本語を話しながら事務所内を見ていると、日本語で話しかけてくれるご老人。日本統治時代の思い出や、今の台湾の状況、台湾人としての誇り、選挙の分析等をお話しする。その話を聞いたスタッフが、今度は英語と日本語、台湾語を混じらせて声をかけてくれた。昨日の自由時報の「日本からの台湾応援メッセージ」も見ていてくれて、カオルがその広告に僕も加わっていると説明してくれると、国際事務部の副執行長である唐さんと劉さんが「今夜の集会に是非来てください。席を用意するから日本の皆さんも是非」と誘って下さった。
場所は松山駅の側の広場、18時30分~10時くらいまでやっていますとのこと。

「必ず行きます」と御礼を言って、金先生の待つホテルへ。
遅刻魔の僕は、先生に今度こそは叱られないようにと1時間前にホテルのロビーへ。金先生がお部屋から降りてこられて、なんやかんやとあり、鬼かあちゃんにはやっぱり叱られたが、幾人かの仲間の皆さんと一緒にホテル近くで夕食をご一緒にした。

「国家の品格」の作者、藤原正彦先生ご夫妻や、大阪日台交流協会の野口会長、以前に金美齢先生の台湾応援ツアーでご一緒した方々にも再会ができた。
今回の選挙の話を中心に、今までの思い出話にも花が咲く。亡くなった周先生に話が及ぶと、先生のお人柄にどれ程ファンが多かったかというお話にもなった。ご夫人の金先生が「台湾に関しては入り口は皆私、でも何故か時間が経つと全部周のファンになっちゃうの」と笑顔で仰っていた。
金先生は今回、台湾維新事務所には行っていないそうで、予想以上に盛り上がっていないという皆さんのお話を聞いて少しお顔を曇らせていた。前にも触れたが、李登輝前総統の支援表明に関しても、「余りにも遅すぎるわ。彼は16日の全国集会に来るべきだった」と悲しそうに悔しそうに仰っていた。
暫く選挙情勢の話をした後に、私に選挙事務所の場所と最終集会場所を尋ねられました。お聞きになった内容の他に、「逆転勝本部」のことや新たな台湾青年たちの熱気をお伝えすると、「食事が終わったら皆さんと一緒に行きます。」と仰り、カオルにそこまでの先導をご指示されました。
集会場所は道路までも使用して支援者が集まる為に、タクシーでの移動は渋滞で不可能。歩いては30分以上かかってしまうとの事で電車で松山駅まで移動することになりました。駅に向かって進み、駅近くになると道行く人が立ち止まって「金美齢(チンメイリン)」と声をかけてくれます。先生も親指を立てて笑顔で返すと、「台湾!」「加油!」の声も飛び交います。電車に乗っても先生の周りは人だかり、サインをお願いしてきた子供に「いつもは本を買った人にしかしないんだから、貴重よ」と冗談を言って笑顔を浮かべていました。
松山駅のホームに降り立つと、民進党の緑の旗、逆転勝の黄色い旗を持った支援者で一杯、金先生の姿を見つけると声援がおこり、今回の16日の全国集会での統一行動となったハイタッチを求め、金先生もそれに応えます。
地上に出ると会場までまだ距離があるにも関わらず、歩道から車道の半分までが黒山の、いや緑山の人だかり、地鳴りのような声援が飛び交います。人の間を縫って会場に向かいますが、金先生の姿を見つけた支援者の皆さんは皆ハイタッチと「金美齢(チンメイリン)」「台湾!加油!」の声援で迎えてくれます。共にいる私達が日本人だとわかるのか、「有難う」「有難う」と日本語での声援も送ってくれました。
先生と共に会場の裏手に繋がる重い鉄のゲートを開くと、会場内の数十万人もの民進党支援者が目の前に飛び込んできました。
会場の最前列に案内して頂き、そこに向かう中での一層大きな声援に日本から来た私達の仲間の目にも涙が溢れます。本当にこの台湾を愛し、誇りを持って、必死にこの国を守ろうとしている支援者の気持ちが直接私たちの心の中にも流れ込んでくるのでしょう。

今回の集会の特徴はとにかく若者が多かったことだと思います。人数や熱気も然ることながら今までに参加させて頂いた民進党や台連の集会の中でも飛びぬけて若者が多かった印象を受けました。
暫く、集会に参加した後、金先生が自由広場(旧中正祈念堂前広場)にてチベットでの中国共産党が行っている民族浄化大虐殺に対する抗議座り込みの応援にも行きましょうと言い、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしました。

電車に乗って目的の駅に降りると、やたらと青い旗やミッキーマウスを模した(流石中国)光る耳をつけた国民党支持者にすれ違います。それも、そのはずこの座り込みの目と鼻の先で国民党の最終集会が行われているのです。
「敵地だわ。あなた、何かあったら金先生を守りなさいよ」と藤原先生に奥様が仰ると、金先生が「大丈夫よ。この人がいるから、ねぇ関口君」と言って頂きましたが、先生・・・この数は・・・。
さておき、言葉は分かりませんが、確かにすれ違う国民党支持者は先生を見つけて何かコソコソと悪口を言っていたようで、自ずと緊張感が高まります。

自由広場の前に着くと、座り込みの前に白い大きなシートが張ってありそこには思い思いの応援メッセージが書き込まれていました。私達もしゃがんでそこにメッセージを書きこむと、その前を土足で青い旗を持った連中が踏み潰していきます。
このように情も、品格も無い人間が再びこの国を牛耳ろうとしているのかと再度、強い危機感を感じました。

広場の前の通りから、遠く向こうの交差点までは観光バスが連なっているのが見えます。民進党系の集会では見られない、ある意味国民党系の名物ですが、このバスに各地方から国民党支援者を乗せて集会に参加をさせているのだそうです。勿論、アゴ(食事)アシ(交通費)付き、中には市内観光や宿泊付きのものもあるそうで、日本であれば明らかな買収行為ですが、議会与党を握る国民党に行為ですので、裁くことさえも出来ません。ここにも、台湾の民主化の未成熟さ、台湾選挙の不平等さが表れていると思います。

金先生と別れ、再度松山の民進党集会場へ、集会の終わった後の会場と通りの広さを見てここを埋め尽くしていた支援者の数の凄まじさを知ります。16日の全国集会に120万人以上が参加し、最終日にも国民党の何倍も集った。もはや日本人である僕達にはこの台湾人の誇りとパワーを信じるしかありませんでした。

まだ×7 続く

悲劇の台湾総統選挙⑦~台湾青年事務所 『逆転勝の願い』~

台北に着き、カオルの母校でもある台湾大学へ
植わっている植物こそ、南国台湾らしい物が並ぶが、その建物を見ると本郷にある東京大学に来たのかと錯覚をする。
当時の帝大の一つだった名残を感じさせる校内には、多くの学生が行きかっていた。正門を出るとチベットでの中国共産党の大虐殺に対する抗議の演説がやっており、幾人かの若者が持つ垂れ幕の前には立ち止まって話を聞く学生が集まっていた。また、緑のチョッキを来た人が台湾の国連加入を求めるチラシを道ゆく人や商店に配っている姿が見えた。

国民党のチラシが無差別に機械的に連日のように商店のポストに投げ込まれるのに反して、民進党系のチラシを地道に街頭で支援者が配っているのをみると、やはり両党の資金力の違いを感じる。

チラシを受け取りながら、大学近くの台湾青年逆転本部へ。
ここは、台湾の危機を感じた若者が独自に設立した事務所で、選挙後半の民進党謝長廷陣営のキャッチフレーズにもなった『逆転勝』(逆転勝利)の文字が、一面黄色く塗られたビルに掲げられている。

入り口付近に溢れる人々を掻き分けると中では、テーマソング『逆転勝』が流れ、彼らのデザインした様々なTシャツが販売されていた。特に人気の黒地に黄色く『逆転勝』と書かれたTシャツは人気で連日再版品切れ状態だという。
2階に上がると、奥にベットルーム(?)運動員が休むにしたら狭すぎるし、おしゃれすぎる?これは何?とスタッフに聞くと、謝長廷候補が公約する若者住宅支援によって実現をされるイメージの部屋だという。

1階が騒がしくなってきたので、降りるとこれから民進党支援者による講演会(?)のようなものが始まるとのこと、ギュウギュウ詰めになりながら待っていると、大きな拍手と「○○さん、○○さん」(よく聞き取れず)の大合唱で、講演者が入場。会場はライブハウスのような熱気だ。私は日本で小泉フィーバー・安倍フィーバーの街頭演説のお手伝いを何度かさせて頂いたことがあるが、これ程の熱気は感じた覚えが無い。やはり、若者の持つパワーというものは素晴らしいものがある。ここに居る全ての若者が政治と国家というものに興味を持ち集まっているのだと思うと感動をすると共に、日本ではどうなのかと考え一種の悔しささえも感じた。

会場で僕達が日本からきたことが分かると、スタッフも参加者も「有難う」と日本語で言ってくれる。今朝自由時報に載った日本からの応援メッセージを見た人もいて、「嬉しい」「有難う」「頑張ろう」と口々に返してくれる。

今回の視察旅行で最も感動し、また選挙結果がこの様な悲劇的なものになっても、台湾への希望を捨てずにいられたのは、この台湾青年たち、そしてこの後民進党の台湾維新選挙事務所での若者スタッフとの出会いがあったことに他ならない。

彼らのような若者が台湾人としての誇りに目覚め、希望を捨てずに闘っていけるのであれば、台湾の将来は必ず明るいものであるはずである。今回の敗戦で彼らの多くは深く傷つき、絶望をした。しかし、その心の中にある台湾人としての『誇り』の炎は消えることなく存在している。彼らが再度立ち上がる為の手助けこそが、今の日本が出来ることであり、彼らの持つ『誇り』が間違っていないという事を、日本は、そして民主主義を標榜する世界各国は、声を大にして応援していかなければならないと確信している。

まだ×6 続く

悲劇の台湾総統選挙⑥~烏来と平和と民主主義~

カオルの家を出て、一路烏来へ。
途中でお母さんが描いた絵画の場所に立ち寄る。
公園になっている河辺からは深い緑と清らかな川の流れが見える。懐かしさを感じる風景に、ふと田舎に帰った時のような気持ちになった。

烏来への峠道、青いものばかりが目立つ選挙ポスターと旗に気が滅入る。原住民は殆ど国民党支持というカオルの言葉が再度思い出される。

街に着くと、そこは日本の温泉街のようで、両側に並ぶお土産屋さんからは日本語での呼び込みも聞こえる。途中にある温泉に立ち寄ると、温泉というよりは、銭湯のような雰囲気で料金を支払って中に入る。露天風呂は混浴で水着が必要と聞いたが、ここは男女別なので必要なかった。平日なので空いていたが週末になると人でごった返すそう。

一汗を流して、商店街へ戻り昼食。その後に、原住民資料館へ入った。中には日本語を流暢に話す説明員さんがいて、さらに山の上の瀧を勧めるので行ってみることに、商店街を抜けて少し階段を登ると小さな電気列車が走りこれに乗って5分ほどで瀧の横に出た。列車の走る線路脇の壁にまで国民党の青いシートが貼ってあったことが印象的だった。

また、同じ列車に乗って戻り、商店街を歩いているとカオルが、「これ見て、もう酷いと思わない?」と青い国民党のシートを指差す。大きな国民党のシートが貼られ、前にはやはり同じく国民党の青い旗がたなびく、一瞬国民党の選挙事務所かな?と思い「凄いね。こんな所に選挙事務所。」というと、「違うよ。ここは観光案内所のようなところ、国民党が来てこうして帰っていったんだよ。」と言われ、驚いて前まで行くと、確かにシートと壁の間に何やら看板が、確かに来る途中の公園にも堂々と国民党の青シートが貼ってあったが、公共の場所にもここまでやるのか国民党と思った。

烏来を出て、カオルの運転で1時間ほど走り台北に戻る。
車の中で、唐ゼミの代表中野くんとカオルと色々な話をする。
中野君の素朴な疑問から「平和とは」「民主主義とは」「台湾人とは」「日本人とは」「国民党とは」「民進党とは」「中国共産党とは」「アジアのこれからは」等々様々なことを話した。
特に、「平和とは」「民主主義とは」などは日本にいる僕達は産まれてこの世に飛び出た時より、空気のように存在し、それを受容している。何を発言したって、ある日突然、意味もなく逮捕されたり、その場で射殺されたりなんて事は想像さえできない。経験していないことの想像は当たり前の話だが現実感がなく、空虚なものとなる。
以前、タイの総選挙の視察に行った時、明日視察予定の地区は暴動が起こっているので、とか訪問予定だった事務所前に早朝に運動員2名の死体が放り込まれたので、なんて理由での予定変更があったが、やはり現実感がなくどこか紙面の向こう、TVの向こうで行われているフィクションのようにさえ感じてしまう。
しかし、それは現実の世界で起っている真実であり、現在進行形で中国共産党によって行われているチベットの民族浄化・大虐殺も飛行機で行けば半日と離れていないご近所での出来事だ。
その事実が、今回の台湾の選挙結果によってはこの地で起りかねない悲劇であり、また台湾で起ればいつかは日本の地にも起りかねない恐怖であるということを僕達日本人はそろそろ自覚しなくてはならない。
中国共産党に抗することが出来なくなり、その支配下に置かれればその恐怖は確実に起ることなのだ。
アメリカというものが、如何に頼りにならないかもこの数日の台湾のニュースや話の中で痛感をした。アメリカにとって台湾という国家の存在如何は大した問題ではなく。自国内が安定しない状況下では、台湾国民がどのようになろうと、民主主義が駆逐されようと、人権が蹂躙されようと、静かにさえしていてくれればどうでも良い。
中東問題が落ち着いて、自国内の有力後援者である軍需産業が求めた時に、火をつければ爆発をする都合の良い場所であってくれさえすれば良いのだろう。今回の総統選挙において、あからさまに独立派を見捨て、国民党を支持していたあの同盟国を見て、日本もその大小はあれ、やはり同様の存在なのだろうなと強く感じた。

そういえば、北京オリンピックのスポンサーの多くもアメリカ系企業、多数の国がこのタイミングでボイコットとなれば彼らの損害は少ないものではないだろう。自分達の選挙を控えた彼らが自身にとっても有力なスポンサーである彼らの不利益となることを行うとは決して思わない。
チベットの現状も、きっと自慢の衛星で全てを把握しているが、それを小出しにしかせず、隠蔽している姿を見てもアメリカの本性というものが浮き彫りにされているような気がする。

話は戻るが、ではその恐怖を実体験として知っているはずの台湾国民が何故に自国の民主主義を放棄し、虐殺政党国民党の支配下に戻ろうとしているのか?「人は辛いことは早くに忘れる」とはいうが、戒厳令後の10年ほどの平和が彼らに危機管理能力をどれほど蝕み、死地へと向かわせてしまっているのか?
だとすれば、その要因となっている「平和」とは、「民主主義」とは、どれ程恐ろしいものなのか?
日本のテレビの有名なアナウンサーが「平和ボケは人を殺さない」と発言していたが、彼は自分の影響力に乗ったその発言の無責任さにどれ程気が付いているのだろう。
「平和ボケ」はその場では確かに人を殺さないかも知れない。しかし、その病は確実に人を蝕み、危機管理能力を失わせ、結果的には甚大なる数の人の命を失わせるのではないだろうか。

僕らはこの視察の中で「平和」というものの恐怖をほんの少しだが感じ始めた。

まだ×5続く

悲劇の台湾総統選挙⑤~台湾民主化は誰の為の闘いか?~

台湾二日目、フロントに『自由時報』をお願いすると日本からの応援メッセージが一面広告に載っている。
出発前に、西村先生の事務所にご挨拶に寄った時にお誘い頂いて僕も協力させて頂いた全面広告だ。
西村眞悟先生のお名前はもちろん、平沼赳夫先生、都議会からも高木啓先生・土屋たかゆき先生・古賀俊昭先生・田代ひろし先生・吉田康一郎先生、東村山市議の野田数先生、若者が未来を変える会の記念シンポジウム講師にも来て頂いた佐藤守元空将など、日頃よりお世話になっているの先生・諸先輩方のお名前が並ぶ、呼びかけの期間は実質2日程しかなかったこの応援広告だが、これほど多くの日本の仲間達が台湾を愛し、また大切に思っているのだと思うと、胸が熱くなる。

早速その新聞を持って、新店のカオルと合流。彼女が日本滞在時に会った先生の名前もあり、とても喜んでくれる。

そこから、溢れる緑と透き通った川や湖を見ながら彼女の運転で台北のカオル宅へ。台湾は国際免許での運転が出来ない為、まさかタクシーやバスなどの公共の乗り物以外には乗れるとは思っておらず、貴重な初体験。

途中に山道を通ったが、この道でさえ国民党の青い大きな看板が目立つ。彼女曰く、この後郊外に進むとより多い、原住民の方などは皆国民党に買収されてしまっているとのこと。

暫く、走ってお宅へ到着、お父さんお母さんも出迎えて下さる。
庭でお茶を頂きながらお父さんお母さんのお話を伺うと、お父さんは学生時代にドイツに留学、現在は台湾と沖縄の地方政治を研究しながら市内の大学で教鞭をとられているとのこと、お母さんも学生時代に早稲田大学への留学の機会を得たが、お父さんと一緒になった為、ドイツ留学に動向したそう。毎週1回のNHK歌謡ショーが楽しみでと日本の歌も披露して下さった。
家の中には、美術を専攻なさっていたお母さんの絵画と、手作りの大きな赤い鯉のぼりがあった。「日本には黒い鯉のぼりもあるけど何故?」と尋ねられたので、「江戸時代では最初真鯉(黒)だけを飾っていたが、明治時代に入り真鯉と緋鯉(赤)の組み合わせが始まり、現代に近づく中で、家族を表すようになり、青や緑の子供の鯉も共に掲げるようになりました。だから、黒い真鯉はお父さん鯉のぼり、赤い緋鯉はお母さん鯉のぼりですよ。」とご説明すると、「では私の家は子供が三人姉弟だから、あと三匹必要ですね。」と笑われていた。

若い時より海外に留学され外の世界を見てきたご夫妻にとって、中国国民党の蛮行は身を持って知った恐怖であり、子供達の未来の為にも台湾の民主化継続はなくてはならないもの。部屋の中には、民進党の旗や台連の旗が置かれており、今回の選挙に向けて16日に台湾国民120万人以上が参加した民進党の全国同時集会にも参加してきたそう、先にも登場した日本からの応援広告にも既に目を通されていて、とても喜んで御礼を言って下さった。台湾では、本籍地での投票が義務付けられている為、22日の投票日には家族で台中の本宅へと戻るそうで、車で帰るから大変ともおっしゃっていた。
これは、海外に在住の台湾人にも同じことが言え、投票の度に帰国しなくてはならない。この費用はバカにならないなと思った。
以前、台湾に詳しい政治家の先生に伺ったところ、日本から投票の為に帰る人は民進党支持者が多いが、同程度の数の国民党支持者がアメリカから帰国するので、票差には響かないとおっしゃっていたのを思い出して、本視察の間に色々な方に同様の質問をしてみたところ、「こちらは自費で帰らなくちゃいけないが、あちらは援助がでるでしょ。同じ条件じゃないよ」との答えがいくつか。こちらとあちらがどこを指すのかはご想像にお任せするが、ここでも資金力の差が大きく出ているなと痛感。こちらもそう(買収)すべきとは思わないが、在外投票や不在者投票がなければ、本当の民主主義選挙とは言えず、台湾の意思を正確に示すものにはならないのだと思う。

今、不在者投票ということを話したが、これも台湾の民主化を妨害し真の民主主義選挙の成立を拒んでいる一因となっている。台湾の投票は16時まで、これは被雇用者やアルバイトをする若者世代の投票意思を大きく妨げているようだ。投票時間の延長や不在者投票の実現はもちろん、これまでも何度も議論されてきたが、議会与党の頑なな反対で未だ実現をしていない。彼らの言い分としては、その為に投票日は公休が取れる法律になっているというが、実際はそんな事認められてないも同然だというアルバイト学生もいた。
以前に「無党派層は(投票日に)寝てて下さい」と言って国民の不評を買った総理大臣がいたが、それが可愛らしい軽口にさえ見えるほど、この国の議会与党は国民の意思と民主主義を軽視・愚弄している。

因みに被雇用者階級と若者世代には圧倒的に台湾独立支持、民進党支持者が多い。万が一この選挙法改正が為されていれば、投票率は少なくとも10%は増大し、今回民進党の当落分岐と言われる82%の投票率を裕に突破し、このような悲劇が起こっていなかったのかもと思うと悔やまれる。今後は、政権と議会を共に中国国民党が握った状態ではより一層の国民軽視、独裁が始まるだ。彼らもバカではない、国民に気づかれぬよう、ゆっくりと水面下で権利を奪い、真綿で首を絞めるように台湾人と台湾を締め付けていくのだろう。

台湾人が今回の敗戦より立ち直り、誇りを取り戻す為に立ち上がった時に彼らの目の前に絶望的な高い壁が立ち塞がっているであろうことは想像に明るい。事実、彼らだけではその壁を乗り越えることは難しいだろう。しかし、彼らがその壁を越えずして、アジアの平和はありえず、日本の明るい未来は存在しえない。

台湾人の復活は、彼らの誇りを取り戻す闘いであると同時に、同じアジアの民としての友人台湾を思う良心を試され、強いては日本の明るい未来を切り開く為の自身の闘いであることも自覚しなくてはならない。


まだまだまだまだ続く

悲劇の台湾総統選挙④~変わらぬ活気の夜市とTV報道~

閉館時間を大幅にオーバーしてもしっかりと最後まで説明を頂いて228記念館を出た後は、以前日本に留学していたカオル(仮名)さんと合流。
台湾大学の学生でもある彼女は、日本の祭りを研究しに浅草に留学してきた時に浅草おかみさん会の冨永会長からご紹介を受けた。常に前向きで好奇心も強く、行動力もある彼女には多くの刺激をもらい、尊敬できる友人として『若者が未来を変える会』のメンバー共々、色々な場所に出かけた。
彼女の台湾帰国後も、連絡を取り続け今回の台湾総統選挙視察では現地での案内も引き受けてくれた。語学力のない僕にとっては本当に有難い援軍(?)だった。
自国台湾を愛する彼女は、当然の如く民主化を願い、自国の存亡の為に民進党を応援していた。彼女と現在の選挙の情勢、街の様子、若者の考え方等々を聞きながら駅へと移動、途中で日本の金美齢先生に電話して無事台湾に到着したことを報告し、21日の夜に一緒に夕食をとお誘いを頂く。「有難う御座います」というと「電話をくれて良かったわ、21日楽しみにしてるわね。」とのお返事。気のせいか、いつもの元気がない?少しお疲れかな?とその時は感じて電話を切った。

さて、駅に着いたので夕食を食べる為に電車を使い士林夜市へと移動。台湾の電車は飲食厳禁(飴やガムも駄目)なので、ホームに日本で見るような売店は存在しない。確かにホームも列車内も綺麗だが、日本の雑多な風景を見慣れている僕らにはその無機質さに少し違和感さえ感じる。
士林の夜市に着くといつもと変わらぬ活気で安心をする。入り口付近で客を待つタクシーにも民進党の緑の旗を立てたものがチラホラと見える。国民党の青い旗のついたタクシーは一台もない。日本に一時期あった屋台村のような建物に入り店舗に腰を下ろす。八角の匂いが堪らなく懐かしい、一品の値段も20元から高くても100元くらい、日本円にして60円~300円くらいなので格安だ。アレは何?これはどんなもの?とカオルに質問攻めをして、たちまちテーブル一杯に料理が並ぶ。しかし、228記念館での勉強で頭もお腹もペッコペコ(?)の一行は物ともせずに完食し、次の未知の料理を求めて散らばっていく。
人の食欲とは素晴らしいもので、来る途中の電車でリーホー(こんにちは)ドゥシャー(有難う)パットンヤオー(お腹空いた)しか覚えていないはずなのに、手には其々が目当ての食べ物をしっかりとゲットしている。恐るべし食への欲求。

さて、お腹が満たされたところで、様々な店舗が並ぶ通りに移動。飲食・服飾・貴金属・怪しげな商品までが乱立して並ぶ通りにさっきとはまた違う活気を感じる。両側の店舗の他に通りの中央を突き抜けるように並んだ店舗は全て不許可店舗なので、警察が近づくと一斉に店を畳み、その場を逃げ去る。以前に訪台した時にはその現場に出くわした事があるが、その手際の鮮やかさには一種の感激さえ覚える。今の日本には失われた民衆の逞しさ、今にも噴出しそうなパワーを感じた。
一通り散策を済ませて、街中にある寺院に立ち寄る。台湾の寺院の多くは神仏混交、様々な神様仏様が同じ建物に一緒にいらっしゃいます。ここで、参拝の方法を習い早速参拝、苦しいときの神頼み、22日の民進党の勝利を願います。その後は三日月型の木片(写真①)を拾いここでも台湾式のお願い。この木片を投げて、表と裏が出ればそのお願いは許され、表と表、裏と裏のような出かたをした時は、3回まで投げなおすことが出来るそう。恐る恐る木片を投げると見事、表と裏に、でも願い事を言うのを忘れたのでもう一回やり直し、台湾を守ってくれるよう願って一度は裏・裏となるものの、二回目には表と裏に☆
神様仏様に御礼を言って寺院を後にしました。

帰りはホテルまでタクシーに、街中に出るとやはり青い国民党のシートが目立つ。でも、神様にお願いしたし!と自分を励ましあいながらホテルに帰着。最上階にあるプールスペースに上がり、台湾の街を見渡す。所々にある夜市には光が溢れている。近くに見える台北101は天に大きく①を示している。
きっと大丈夫!そう信じていた。
部屋に戻りTVを見ると言葉は分からないが、明らかに国民党の報道が多いことが気にかかる。眠れずにホテルをウロウロとし、3時頃に就寝。

まだまだまだ続く

悲劇の台湾総統選挙③~228記念館とパンダ~

部屋に荷物を下ろした後、タクシーに乗って228記念館へ、今回の視察旅行の目的地の一つだ。考えたくはないが、この記念館は今存亡の危機にある。この後に行われる総統選挙で国民党が勝利をした場合(結局そうなってしまったが)この記念館は閉じられてしまうかもしれないのだ。何故かといえばこの記念館に展示されている事件『228事件』は蒋介石率いる国民党が行った台湾国民への大虐殺で、その犯人たる国民党が政権を握ればそのままこの記念館を放っておくはずもない。少なくとも近い将来、展示は大きく改ざんされ、中国仕込の国民党によるお家芸歴史捏造が始まる。

民主主義を放棄した台湾にとって、この横暴に抵抗する術はない。そのうちに、名前が変わり228事件は歴史の闇に葬られる。民進党が政権を持っていた今まででさえ、立法院(国会)で過半数を持つ国民党は記念館の予算を4分の3まで削り、歴史事実の展示を妨害してきた。また、反省の意思がないことを示すかのように国民党の持つ大虐殺当時の資料の多くは存在を否定し隠蔽し続けている。これこそがまさに大虐殺当時から変わらぬ彼らの本性である。

館内には日本統治時代にお生まれになった台湾人の方が展示を丁寧に説明して下さる。
館内には人間とはここまで残虐に人を扱うことが出来るのかと思う展示が並ぶ、特に2階に上がってからの被害にあわれた方の写真に所にいくと背筋が寒くさえなるのだ。そこ並んだ写真の下の説明書きを見ると、国民党の同じ人類とは思えない残虐さが浮き彫りとなる。

例えば、地方駅の駅員を皆殺しにしたという記述、この駅は事件以前に国民党の人物の度重なる無賃乗車を注意したことがあるそうだ。その事を記憶していたある国民党の人間が、この混乱の機にと駅舎に乱入し駅長以下の全ての駅員を虐殺したのだという。他にも以前の個人的恨みを晴らすためにと、理解しがたい蛮行が台湾各地で行われ、多くの台湾人の尊い命が失われた。
この様に残虐非道極まりない事件がほんの50年前に行われ、当時の大虐殺に関わっていた人物達が今ものうのうと国民党要人として生き残って、あまつさえ5月には権力の座に返り咲くとは到底信じがたい。

いや、今この時も彼らと同じ思想を持つ者たちが台湾海峡を隔てた目と鼻の先で、意気揚々と平和の祭典を開催しようと旗を振り、その逆の手ではチベットの国民達を虐殺しているのだから決して不思議ではないのかも知れない。
チベットでの中国共産党による大虐殺が世界に報じられた時、台湾人のお年寄りの多くは228事件を昨日のように思い出し、現在も続く蛮行を耳にするに、ほんの20年前まで彼らを闇の中に閉じ込め続けた戒厳令下の恐怖が甦ったという。

最後の展示に近づくと、鉄格子に戒厳の文字がかかった展示室へと進む。台湾人の自由を侵害し、人権を蹂躙した国民党による戒厳令下の展示だ。台湾人としての誇りを守る為に闘った多くの誇り高き台湾人の姿が展示される。その激しい闘いの中で、多くの者が国民党に捕らえられ処刑されていった。また、ある者は囚われる前に舌を噛み切り、ある者は自分の身に火を放って倒れていった。写真展示には今回の総統選挙に出た民進党の謝長廷候補や、現高雄市長の陳菊の若き日の姿も見える。
台湾人は現実にほんの10年前まで命をかけて闘ってきたのだということが良く分かる。

これ程の人権蹂躙・迫害を受けながら、何故今回の選挙で幾人かの台湾人は国民党の勝利に加担してしまったのだろうか?理解に苦しむ。
8割以上が未だ国民党に支配されたままのと言われた台湾TV・マスコミは経済重視や民進党への失望とは言うが、それで命を奪われることもあるまい、ほんの10年ほどの民主主義と平和は台湾人から誇りも危機感も失わせてしまったのだろうか?

だとすれば、平和とはなんと恐ろしいことなのか。

この平和という禁断の果実を齧ってしまった台湾人はもう一度立ち上がり誇りを取り戻すことが出来るのだろうか?

先日のニュースによると228記念館という歴史事実と国民党の本性を忘れ、早速台湾動物園へのパンダの受け入れを楽しみにしている台湾人も居ると言う。
このパンダを受け入れれば、台湾を中国の一部と認めたことになるという事実をもう一度思い出して欲しい。
一昨年、中国政府は台湾にパンダを贈呈すると発表、国民から名前の投票を募るなど大々的なキャンペーンを行った。パンダの名は「団団」「圓圓」に決まったが、二つ合わせると「団圓(中国語で、離散した家族の再会、家族が一堂に会するの意)」という言葉になる。出来すぎじゃないか?
絶滅危惧種保護を定めたワシントン条約に従えば、パンダの移動には輸出国と受け入れ国の証明書が必要。台湾を自分の国だと言い張る中国はこれを「国内移動」と主張する、当時の台湾政府は「中国が台湾の主権を認めない限り受け入れられない」としてこれを拒否したが、今度の総統はきっと受け入れるだろう。これを中国共産党の言いなりで受け入れれば彼の選挙時に主張した中国に吸収されないと言ったことが大嘘だったこと、彼は台湾を国家だとは認識していなかったことが証明される。
立ち上がってくれ誇り高き台湾の友人達よ。

お金の魅力に負けて政権を売り渡した台湾が、パンダの可愛さに負けて国を売り渡す醜態など見たくは無い。一時の快楽のみを追い求めて誇りを捨てる姿はもう二度と見たくは無いのだ。

一刻の猶予も無い。『1日』国民党の政権が続けば、『1年』自由と民主主義が遠のく、それ程に恐ろしい中国共産党と国民党の本性を思い出せ!

悲劇の台湾総統選挙②~台湾応援団と台北のタクシー~

今回の訪台は19日に台北に入り、選挙後の24日に帰国するという割と長めのスケジュールでした。

3月に入ってからは、まず親台湾派の先生方に訪台のご挨拶に回ってきました。
私の台湾との繋がりを作って下さった高木啓都議会議員(都議会自民党日台友好議員連盟事務局長)を始め、都議会には土屋たかゆき先生(民)・古賀俊昭先生(自)・田代ひろし先生(自)・吉田康一郎先生(民)、樺山卓司先生(自・樺山初代台湾総督のご子孫でもあります)国会にも鳩山邦夫先生・西村眞悟先生・平沼赳夫先生・馬渡龍治先生など国会議員の先生方にも台湾を支持し、行く末を心配する先生方は多数いらっしゃいます。
20日にその先生方、日本の有志の皆さんと共に台湾の新聞『自由時報』にも台湾応援の全面広告メッセージを載せる事となり、その準備を少しお手伝いさせて頂きました。
(台湾の法律では日本を含めた外国人は選挙の応援をすることが出来ません。その為、全面広告とは言え「『台湾』を応援する」というメッセージに最大限の気持ちを込めることしか出来ません。)

各先生とお会いし、またお電話でもお話をすると、今回の総統選挙に対する戦局の厳しさをヒシヒシと感じることが出来ました。特に、中国共産党=台湾国民党の恐ろしさを知っている先生方は、台湾の現状に対する危機感を、今後の日本に対する脅威としても把握し日本を守る為にも如何に台湾を守るかということに苦慮されていました。
その緊張感に触れる中で、私の中の淡い期待感「台湾国民は既に台湾人としてのアイデンティティに目覚めている。危機が迫れば覚醒し、結局最後は民進党が逆転するのではないか」は打ち砕かれ、次第に言いようのない不安のみが残るようになりました。
幾度かの訪台で感じてきた台湾の自由と平和と希望に満ち溢れた空気、しかし同様に、いやむしろ訪台を重ねるごとに大きな高まりを感じてきた台湾国民の油断。誤解を恐れずに言えば、その油断は日本で良く言われる平和ボケという言葉にも置き換えることが出来たのかも知れない。この状態がいつまでも続くのではないか、というような平和ボケが確かに台湾には蔓延してきていた。
その事を考えると、先の先生方の危機感が理解できる。出発までの間が歯がゆく、また不安で仕方が無かった。

19日朝の便で台湾に着くと、空港から街へと走るタクシーの中で辺りを見回す。

おかしい、選挙の毎にあれ程、目に付いたはずの選挙の旗が見当たらない。やっと、ビルに大きく貼られた大看板を見つけると「②馬英九」の文字、青いシートが堪らなく不安を掻き立てる。
街中に入って、やっと民進党の緑の旗と出会う「①謝長廷」の文字、少しの安堵。しかし、直ぐにまた不安へと繋がる。余りにも物量が違いすぎないか?10倍以上の数の青い大看板と旗、馬英九・国民党の文字。
台湾はどうしてしまったんだ。握った手からは汗が滲んだ。

市内に入って暫くすると、緑の旗を見つけては一喜、青い看板を見つけては一憂する私達を見て、タクシーの運転手さんが一つの旗を渡してくれた。緑の旗だ。「台湾」「①」「謝長廷」の文字が躍る。思わず「台湾!加油!(台湾頑張れ)」と声を上げた。彼も繰り返す。ホテルに到着し笑顔で握手をして別れた。
着いて早々、こちらが励まされてしまった。

また続く

悲劇の台湾総統選挙①~血塗られた赤い布地~

前の日記にも書きましたが、22日に台湾の総統選挙がありました。
結果は、国民党で中国共産党支持者の馬英九候補の勝利。
民主主義の選挙によって、民主主義が否定され、排斥されました。

今まで、幾度も足を運び続けてきた愛すべき国台湾が失われた日でした。
馬英九という人間は台北市長に当選した時より、その顔の良さと、人気の為ならなりふりかまわず聞こえの良い言葉を発する様子から台湾支持者にとって台湾の民主主義を破壊する可能性を持つ最も危険人物として注目をされ続けてきましたが、まさにその悪夢が現実のものとなったのです。
香港出身で、中国共産党の走狗として大学時代はアメリカ、その後台湾と活動を続けてきた彼は本国の指示通り着々と台湾消滅への道を進めてきました。
本来の目的である中国による台湾吸収を融和・対話路線・経済優先と書かれた赤い布に包み込んで、ゆっくりと台湾に潜り込んできた彼がその偽りの笑顔と言葉を狡猾に使いこなし、遂に頂点の座に登り詰めたのです。後は真綿で首を絞めるように国民を侵略し、本国のように血の様な真っ赤な色で染め上げることで彼の使命は達成されるのでしょう。その時に、台湾国民は初めて彼の持っていた布地が中国共産党政府の旗であり、その赤は多くの民衆達の無念の血で染められた物であったと言うことに気付くのかも知れません。

初の民進党政権が樹立した翌年、私は台湾の地に初めて降り立ちました。国民党でありながら、台湾人の誇りを捨てることなく大きな戦略を持って民主主義選挙を実現した李登輝前総統の後を継ぐように、着実に民主主義国家への道を歩み始めたかに見えた台湾。しかし、その時に既にこの3.22の悲劇の足音は聞こえていたのかも知れない。

当時学生であった私は、そこで多くの同世代の学生達との交流の機会に恵まれました。彼らは、民主主義という幸せな時代を過ごす中で、本当に多くの夢と希望を持ち笑顔が溢れていました。しかし、その幸せの中に含まれる平和という毒に着実に蝕まれていたのです。彼らと長くの時間を過ごす中で、多くの議論をしましたが、政治の話になると途端にトーンダウンしたり、独立を否定する意見をいう学生さえもいました。
その理由はほんの10年ほど前まで戒厳令を布いて反政府論者を虐殺してきた国民党への恐怖も然ることながら、平和への誤った執着が始まっていたのだと思います。
今、やっと民主主義政府となって自由と平和を得たのに、これ以上のことを求めては中国が攻めてくるかもしれない。そうなれば戦争となってこの平和は失われる。ならば、余計な動きはしないで現状の状態が続いて行きさえすればよい。という考えです。
ですが残念ながら平和とは対話の中からは生まれません、多くの利害関係の中で、各々が戦略を戦わせていき、均衡を保つ状態となっている時が平和な状態であり、片方が戦いを止めればたちまちにしてその平和は崩れ、もう一方に吸収をされていくだけです。しかし、平和というお湯にどっぷりと浸かっていると、ついついノボせてしまいそれに気付くことが出来なくなってしまいます。
長く国民党の恐怖政治の冷たい雨に晒されてきた台湾人にとってその平和というお湯の温かさは格別なものであったに違いありません。しかし、その余りにも大きな快楽が、彼らを驚くべき速さで蝕み、今回の悲劇を引き起こしてしまったのだとすれば、それは何と皮肉なことなのでしょう。

続く

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

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