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悲劇の台湾総統選挙⑤~台湾民主化は誰の為の闘いか?~

台湾二日目、フロントに『自由時報』をお願いすると日本からの応援メッセージが一面広告に載っている。
出発前に、西村先生の事務所にご挨拶に寄った時にお誘い頂いて僕も協力させて頂いた全面広告だ。
西村眞悟先生のお名前はもちろん、平沼赳夫先生、都議会からも高木啓先生・土屋たかゆき先生・古賀俊昭先生・田代ひろし先生・吉田康一郎先生、東村山市議の野田数先生、若者が未来を変える会の記念シンポジウム講師にも来て頂いた佐藤守元空将など、日頃よりお世話になっているの先生・諸先輩方のお名前が並ぶ、呼びかけの期間は実質2日程しかなかったこの応援広告だが、これほど多くの日本の仲間達が台湾を愛し、また大切に思っているのだと思うと、胸が熱くなる。

早速その新聞を持って、新店のカオルと合流。彼女が日本滞在時に会った先生の名前もあり、とても喜んでくれる。

そこから、溢れる緑と透き通った川や湖を見ながら彼女の運転で台北のカオル宅へ。台湾は国際免許での運転が出来ない為、まさかタクシーやバスなどの公共の乗り物以外には乗れるとは思っておらず、貴重な初体験。

途中に山道を通ったが、この道でさえ国民党の青い大きな看板が目立つ。彼女曰く、この後郊外に進むとより多い、原住民の方などは皆国民党に買収されてしまっているとのこと。

暫く、走ってお宅へ到着、お父さんお母さんも出迎えて下さる。
庭でお茶を頂きながらお父さんお母さんのお話を伺うと、お父さんは学生時代にドイツに留学、現在は台湾と沖縄の地方政治を研究しながら市内の大学で教鞭をとられているとのこと、お母さんも学生時代に早稲田大学への留学の機会を得たが、お父さんと一緒になった為、ドイツ留学に動向したそう。毎週1回のNHK歌謡ショーが楽しみでと日本の歌も披露して下さった。
家の中には、美術を専攻なさっていたお母さんの絵画と、手作りの大きな赤い鯉のぼりがあった。「日本には黒い鯉のぼりもあるけど何故?」と尋ねられたので、「江戸時代では最初真鯉(黒)だけを飾っていたが、明治時代に入り真鯉と緋鯉(赤)の組み合わせが始まり、現代に近づく中で、家族を表すようになり、青や緑の子供の鯉も共に掲げるようになりました。だから、黒い真鯉はお父さん鯉のぼり、赤い緋鯉はお母さん鯉のぼりですよ。」とご説明すると、「では私の家は子供が三人姉弟だから、あと三匹必要ですね。」と笑われていた。

若い時より海外に留学され外の世界を見てきたご夫妻にとって、中国国民党の蛮行は身を持って知った恐怖であり、子供達の未来の為にも台湾の民主化継続はなくてはならないもの。部屋の中には、民進党の旗や台連の旗が置かれており、今回の選挙に向けて16日に台湾国民120万人以上が参加した民進党の全国同時集会にも参加してきたそう、先にも登場した日本からの応援広告にも既に目を通されていて、とても喜んで御礼を言って下さった。台湾では、本籍地での投票が義務付けられている為、22日の投票日には家族で台中の本宅へと戻るそうで、車で帰るから大変ともおっしゃっていた。
これは、海外に在住の台湾人にも同じことが言え、投票の度に帰国しなくてはならない。この費用はバカにならないなと思った。
以前、台湾に詳しい政治家の先生に伺ったところ、日本から投票の為に帰る人は民進党支持者が多いが、同程度の数の国民党支持者がアメリカから帰国するので、票差には響かないとおっしゃっていたのを思い出して、本視察の間に色々な方に同様の質問をしてみたところ、「こちらは自費で帰らなくちゃいけないが、あちらは援助がでるでしょ。同じ条件じゃないよ」との答えがいくつか。こちらとあちらがどこを指すのかはご想像にお任せするが、ここでも資金力の差が大きく出ているなと痛感。こちらもそう(買収)すべきとは思わないが、在外投票や不在者投票がなければ、本当の民主主義選挙とは言えず、台湾の意思を正確に示すものにはならないのだと思う。

今、不在者投票ということを話したが、これも台湾の民主化を妨害し真の民主主義選挙の成立を拒んでいる一因となっている。台湾の投票は16時まで、これは被雇用者やアルバイトをする若者世代の投票意思を大きく妨げているようだ。投票時間の延長や不在者投票の実現はもちろん、これまでも何度も議論されてきたが、議会与党の頑なな反対で未だ実現をしていない。彼らの言い分としては、その為に投票日は公休が取れる法律になっているというが、実際はそんな事認められてないも同然だというアルバイト学生もいた。
以前に「無党派層は(投票日に)寝てて下さい」と言って国民の不評を買った総理大臣がいたが、それが可愛らしい軽口にさえ見えるほど、この国の議会与党は国民の意思と民主主義を軽視・愚弄している。

因みに被雇用者階級と若者世代には圧倒的に台湾独立支持、民進党支持者が多い。万が一この選挙法改正が為されていれば、投票率は少なくとも10%は増大し、今回民進党の当落分岐と言われる82%の投票率を裕に突破し、このような悲劇が起こっていなかったのかもと思うと悔やまれる。今後は、政権と議会を共に中国国民党が握った状態ではより一層の国民軽視、独裁が始まるだ。彼らもバカではない、国民に気づかれぬよう、ゆっくりと水面下で権利を奪い、真綿で首を絞めるように台湾人と台湾を締め付けていくのだろう。

台湾人が今回の敗戦より立ち直り、誇りを取り戻す為に立ち上がった時に彼らの目の前に絶望的な高い壁が立ち塞がっているであろうことは想像に明るい。事実、彼らだけではその壁を乗り越えることは難しいだろう。しかし、彼らがその壁を越えずして、アジアの平和はありえず、日本の明るい未来は存在しえない。

台湾人の復活は、彼らの誇りを取り戻す闘いであると同時に、同じアジアの民としての友人台湾を思う良心を試され、強いては日本の明るい未来を切り開く為の自身の闘いであることも自覚しなくてはならない。


まだまだまだまだ続く

悲劇の台湾総統選挙④~変わらぬ活気の夜市とTV報道~

閉館時間を大幅にオーバーしてもしっかりと最後まで説明を頂いて228記念館を出た後は、以前日本に留学していたカオル(仮名)さんと合流。
台湾大学の学生でもある彼女は、日本の祭りを研究しに浅草に留学してきた時に浅草おかみさん会の冨永会長からご紹介を受けた。常に前向きで好奇心も強く、行動力もある彼女には多くの刺激をもらい、尊敬できる友人として『若者が未来を変える会』のメンバー共々、色々な場所に出かけた。
彼女の台湾帰国後も、連絡を取り続け今回の台湾総統選挙視察では現地での案内も引き受けてくれた。語学力のない僕にとっては本当に有難い援軍(?)だった。
自国台湾を愛する彼女は、当然の如く民主化を願い、自国の存亡の為に民進党を応援していた。彼女と現在の選挙の情勢、街の様子、若者の考え方等々を聞きながら駅へと移動、途中で日本の金美齢先生に電話して無事台湾に到着したことを報告し、21日の夜に一緒に夕食をとお誘いを頂く。「有難う御座います」というと「電話をくれて良かったわ、21日楽しみにしてるわね。」とのお返事。気のせいか、いつもの元気がない?少しお疲れかな?とその時は感じて電話を切った。

さて、駅に着いたので夕食を食べる為に電車を使い士林夜市へと移動。台湾の電車は飲食厳禁(飴やガムも駄目)なので、ホームに日本で見るような売店は存在しない。確かにホームも列車内も綺麗だが、日本の雑多な風景を見慣れている僕らにはその無機質さに少し違和感さえ感じる。
士林の夜市に着くといつもと変わらぬ活気で安心をする。入り口付近で客を待つタクシーにも民進党の緑の旗を立てたものがチラホラと見える。国民党の青い旗のついたタクシーは一台もない。日本に一時期あった屋台村のような建物に入り店舗に腰を下ろす。八角の匂いが堪らなく懐かしい、一品の値段も20元から高くても100元くらい、日本円にして60円~300円くらいなので格安だ。アレは何?これはどんなもの?とカオルに質問攻めをして、たちまちテーブル一杯に料理が並ぶ。しかし、228記念館での勉強で頭もお腹もペッコペコ(?)の一行は物ともせずに完食し、次の未知の料理を求めて散らばっていく。
人の食欲とは素晴らしいもので、来る途中の電車でリーホー(こんにちは)ドゥシャー(有難う)パットンヤオー(お腹空いた)しか覚えていないはずなのに、手には其々が目当ての食べ物をしっかりとゲットしている。恐るべし食への欲求。

さて、お腹が満たされたところで、様々な店舗が並ぶ通りに移動。飲食・服飾・貴金属・怪しげな商品までが乱立して並ぶ通りにさっきとはまた違う活気を感じる。両側の店舗の他に通りの中央を突き抜けるように並んだ店舗は全て不許可店舗なので、警察が近づくと一斉に店を畳み、その場を逃げ去る。以前に訪台した時にはその現場に出くわした事があるが、その手際の鮮やかさには一種の感激さえ覚える。今の日本には失われた民衆の逞しさ、今にも噴出しそうなパワーを感じた。
一通り散策を済ませて、街中にある寺院に立ち寄る。台湾の寺院の多くは神仏混交、様々な神様仏様が同じ建物に一緒にいらっしゃいます。ここで、参拝の方法を習い早速参拝、苦しいときの神頼み、22日の民進党の勝利を願います。その後は三日月型の木片(写真①)を拾いここでも台湾式のお願い。この木片を投げて、表と裏が出ればそのお願いは許され、表と表、裏と裏のような出かたをした時は、3回まで投げなおすことが出来るそう。恐る恐る木片を投げると見事、表と裏に、でも願い事を言うのを忘れたのでもう一回やり直し、台湾を守ってくれるよう願って一度は裏・裏となるものの、二回目には表と裏に☆
神様仏様に御礼を言って寺院を後にしました。

帰りはホテルまでタクシーに、街中に出るとやはり青い国民党のシートが目立つ。でも、神様にお願いしたし!と自分を励ましあいながらホテルに帰着。最上階にあるプールスペースに上がり、台湾の街を見渡す。所々にある夜市には光が溢れている。近くに見える台北101は天に大きく①を示している。
きっと大丈夫!そう信じていた。
部屋に戻りTVを見ると言葉は分からないが、明らかに国民党の報道が多いことが気にかかる。眠れずにホテルをウロウロとし、3時頃に就寝。

まだまだまだ続く

悲劇の台湾総統選挙③~228記念館とパンダ~

部屋に荷物を下ろした後、タクシーに乗って228記念館へ、今回の視察旅行の目的地の一つだ。考えたくはないが、この記念館は今存亡の危機にある。この後に行われる総統選挙で国民党が勝利をした場合(結局そうなってしまったが)この記念館は閉じられてしまうかもしれないのだ。何故かといえばこの記念館に展示されている事件『228事件』は蒋介石率いる国民党が行った台湾国民への大虐殺で、その犯人たる国民党が政権を握ればそのままこの記念館を放っておくはずもない。少なくとも近い将来、展示は大きく改ざんされ、中国仕込の国民党によるお家芸歴史捏造が始まる。

民主主義を放棄した台湾にとって、この横暴に抵抗する術はない。そのうちに、名前が変わり228事件は歴史の闇に葬られる。民進党が政権を持っていた今まででさえ、立法院(国会)で過半数を持つ国民党は記念館の予算を4分の3まで削り、歴史事実の展示を妨害してきた。また、反省の意思がないことを示すかのように国民党の持つ大虐殺当時の資料の多くは存在を否定し隠蔽し続けている。これこそがまさに大虐殺当時から変わらぬ彼らの本性である。

館内には日本統治時代にお生まれになった台湾人の方が展示を丁寧に説明して下さる。
館内には人間とはここまで残虐に人を扱うことが出来るのかと思う展示が並ぶ、特に2階に上がってからの被害にあわれた方の写真に所にいくと背筋が寒くさえなるのだ。そこ並んだ写真の下の説明書きを見ると、国民党の同じ人類とは思えない残虐さが浮き彫りとなる。

例えば、地方駅の駅員を皆殺しにしたという記述、この駅は事件以前に国民党の人物の度重なる無賃乗車を注意したことがあるそうだ。その事を記憶していたある国民党の人間が、この混乱の機にと駅舎に乱入し駅長以下の全ての駅員を虐殺したのだという。他にも以前の個人的恨みを晴らすためにと、理解しがたい蛮行が台湾各地で行われ、多くの台湾人の尊い命が失われた。
この様に残虐非道極まりない事件がほんの50年前に行われ、当時の大虐殺に関わっていた人物達が今ものうのうと国民党要人として生き残って、あまつさえ5月には権力の座に返り咲くとは到底信じがたい。

いや、今この時も彼らと同じ思想を持つ者たちが台湾海峡を隔てた目と鼻の先で、意気揚々と平和の祭典を開催しようと旗を振り、その逆の手ではチベットの国民達を虐殺しているのだから決して不思議ではないのかも知れない。
チベットでの中国共産党による大虐殺が世界に報じられた時、台湾人のお年寄りの多くは228事件を昨日のように思い出し、現在も続く蛮行を耳にするに、ほんの20年前まで彼らを闇の中に閉じ込め続けた戒厳令下の恐怖が甦ったという。

最後の展示に近づくと、鉄格子に戒厳の文字がかかった展示室へと進む。台湾人の自由を侵害し、人権を蹂躙した国民党による戒厳令下の展示だ。台湾人としての誇りを守る為に闘った多くの誇り高き台湾人の姿が展示される。その激しい闘いの中で、多くの者が国民党に捕らえられ処刑されていった。また、ある者は囚われる前に舌を噛み切り、ある者は自分の身に火を放って倒れていった。写真展示には今回の総統選挙に出た民進党の謝長廷候補や、現高雄市長の陳菊の若き日の姿も見える。
台湾人は現実にほんの10年前まで命をかけて闘ってきたのだということが良く分かる。

これ程の人権蹂躙・迫害を受けながら、何故今回の選挙で幾人かの台湾人は国民党の勝利に加担してしまったのだろうか?理解に苦しむ。
8割以上が未だ国民党に支配されたままのと言われた台湾TV・マスコミは経済重視や民進党への失望とは言うが、それで命を奪われることもあるまい、ほんの10年ほどの民主主義と平和は台湾人から誇りも危機感も失わせてしまったのだろうか?

だとすれば、平和とはなんと恐ろしいことなのか。

この平和という禁断の果実を齧ってしまった台湾人はもう一度立ち上がり誇りを取り戻すことが出来るのだろうか?

先日のニュースによると228記念館という歴史事実と国民党の本性を忘れ、早速台湾動物園へのパンダの受け入れを楽しみにしている台湾人も居ると言う。
このパンダを受け入れれば、台湾を中国の一部と認めたことになるという事実をもう一度思い出して欲しい。
一昨年、中国政府は台湾にパンダを贈呈すると発表、国民から名前の投票を募るなど大々的なキャンペーンを行った。パンダの名は「団団」「圓圓」に決まったが、二つ合わせると「団圓(中国語で、離散した家族の再会、家族が一堂に会するの意)」という言葉になる。出来すぎじゃないか?
絶滅危惧種保護を定めたワシントン条約に従えば、パンダの移動には輸出国と受け入れ国の証明書が必要。台湾を自分の国だと言い張る中国はこれを「国内移動」と主張する、当時の台湾政府は「中国が台湾の主権を認めない限り受け入れられない」としてこれを拒否したが、今度の総統はきっと受け入れるだろう。これを中国共産党の言いなりで受け入れれば彼の選挙時に主張した中国に吸収されないと言ったことが大嘘だったこと、彼は台湾を国家だとは認識していなかったことが証明される。
立ち上がってくれ誇り高き台湾の友人達よ。

お金の魅力に負けて政権を売り渡した台湾が、パンダの可愛さに負けて国を売り渡す醜態など見たくは無い。一時の快楽のみを追い求めて誇りを捨てる姿はもう二度と見たくは無いのだ。

一刻の猶予も無い。『1日』国民党の政権が続けば、『1年』自由と民主主義が遠のく、それ程に恐ろしい中国共産党と国民党の本性を思い出せ!

悲劇の台湾総統選挙②~台湾応援団と台北のタクシー~

今回の訪台は19日に台北に入り、選挙後の24日に帰国するという割と長めのスケジュールでした。

3月に入ってからは、まず親台湾派の先生方に訪台のご挨拶に回ってきました。
私の台湾との繋がりを作って下さった高木啓都議会議員(都議会自民党日台友好議員連盟事務局長)を始め、都議会には土屋たかゆき先生(民)・古賀俊昭先生(自)・田代ひろし先生(自)・吉田康一郎先生(民)、樺山卓司先生(自・樺山初代台湾総督のご子孫でもあります)国会にも鳩山邦夫先生・西村眞悟先生・平沼赳夫先生・馬渡龍治先生など国会議員の先生方にも台湾を支持し、行く末を心配する先生方は多数いらっしゃいます。
20日にその先生方、日本の有志の皆さんと共に台湾の新聞『自由時報』にも台湾応援の全面広告メッセージを載せる事となり、その準備を少しお手伝いさせて頂きました。
(台湾の法律では日本を含めた外国人は選挙の応援をすることが出来ません。その為、全面広告とは言え「『台湾』を応援する」というメッセージに最大限の気持ちを込めることしか出来ません。)

各先生とお会いし、またお電話でもお話をすると、今回の総統選挙に対する戦局の厳しさをヒシヒシと感じることが出来ました。特に、中国共産党=台湾国民党の恐ろしさを知っている先生方は、台湾の現状に対する危機感を、今後の日本に対する脅威としても把握し日本を守る為にも如何に台湾を守るかということに苦慮されていました。
その緊張感に触れる中で、私の中の淡い期待感「台湾国民は既に台湾人としてのアイデンティティに目覚めている。危機が迫れば覚醒し、結局最後は民進党が逆転するのではないか」は打ち砕かれ、次第に言いようのない不安のみが残るようになりました。
幾度かの訪台で感じてきた台湾の自由と平和と希望に満ち溢れた空気、しかし同様に、いやむしろ訪台を重ねるごとに大きな高まりを感じてきた台湾国民の油断。誤解を恐れずに言えば、その油断は日本で良く言われる平和ボケという言葉にも置き換えることが出来たのかも知れない。この状態がいつまでも続くのではないか、というような平和ボケが確かに台湾には蔓延してきていた。
その事を考えると、先の先生方の危機感が理解できる。出発までの間が歯がゆく、また不安で仕方が無かった。

19日朝の便で台湾に着くと、空港から街へと走るタクシーの中で辺りを見回す。

おかしい、選挙の毎にあれ程、目に付いたはずの選挙の旗が見当たらない。やっと、ビルに大きく貼られた大看板を見つけると「②馬英九」の文字、青いシートが堪らなく不安を掻き立てる。
街中に入って、やっと民進党の緑の旗と出会う「①謝長廷」の文字、少しの安堵。しかし、直ぐにまた不安へと繋がる。余りにも物量が違いすぎないか?10倍以上の数の青い大看板と旗、馬英九・国民党の文字。
台湾はどうしてしまったんだ。握った手からは汗が滲んだ。

市内に入って暫くすると、緑の旗を見つけては一喜、青い看板を見つけては一憂する私達を見て、タクシーの運転手さんが一つの旗を渡してくれた。緑の旗だ。「台湾」「①」「謝長廷」の文字が躍る。思わず「台湾!加油!(台湾頑張れ)」と声を上げた。彼も繰り返す。ホテルに到着し笑顔で握手をして別れた。
着いて早々、こちらが励まされてしまった。

また続く

悲劇の台湾総統選挙①~血塗られた赤い布地~

前の日記にも書きましたが、22日に台湾の総統選挙がありました。
結果は、国民党で中国共産党支持者の馬英九候補の勝利。
民主主義の選挙によって、民主主義が否定され、排斥されました。

今まで、幾度も足を運び続けてきた愛すべき国台湾が失われた日でした。
馬英九という人間は台北市長に当選した時より、その顔の良さと、人気の為ならなりふりかまわず聞こえの良い言葉を発する様子から台湾支持者にとって台湾の民主主義を破壊する可能性を持つ最も危険人物として注目をされ続けてきましたが、まさにその悪夢が現実のものとなったのです。
香港出身で、中国共産党の走狗として大学時代はアメリカ、その後台湾と活動を続けてきた彼は本国の指示通り着々と台湾消滅への道を進めてきました。
本来の目的である中国による台湾吸収を融和・対話路線・経済優先と書かれた赤い布に包み込んで、ゆっくりと台湾に潜り込んできた彼がその偽りの笑顔と言葉を狡猾に使いこなし、遂に頂点の座に登り詰めたのです。後は真綿で首を絞めるように国民を侵略し、本国のように血の様な真っ赤な色で染め上げることで彼の使命は達成されるのでしょう。その時に、台湾国民は初めて彼の持っていた布地が中国共産党政府の旗であり、その赤は多くの民衆達の無念の血で染められた物であったと言うことに気付くのかも知れません。

初の民進党政権が樹立した翌年、私は台湾の地に初めて降り立ちました。国民党でありながら、台湾人の誇りを捨てることなく大きな戦略を持って民主主義選挙を実現した李登輝前総統の後を継ぐように、着実に民主主義国家への道を歩み始めたかに見えた台湾。しかし、その時に既にこの3.22の悲劇の足音は聞こえていたのかも知れない。

当時学生であった私は、そこで多くの同世代の学生達との交流の機会に恵まれました。彼らは、民主主義という幸せな時代を過ごす中で、本当に多くの夢と希望を持ち笑顔が溢れていました。しかし、その幸せの中に含まれる平和という毒に着実に蝕まれていたのです。彼らと長くの時間を過ごす中で、多くの議論をしましたが、政治の話になると途端にトーンダウンしたり、独立を否定する意見をいう学生さえもいました。
その理由はほんの10年ほど前まで戒厳令を布いて反政府論者を虐殺してきた国民党への恐怖も然ることながら、平和への誤った執着が始まっていたのだと思います。
今、やっと民主主義政府となって自由と平和を得たのに、これ以上のことを求めては中国が攻めてくるかもしれない。そうなれば戦争となってこの平和は失われる。ならば、余計な動きはしないで現状の状態が続いて行きさえすればよい。という考えです。
ですが残念ながら平和とは対話の中からは生まれません、多くの利害関係の中で、各々が戦略を戦わせていき、均衡を保つ状態となっている時が平和な状態であり、片方が戦いを止めればたちまちにしてその平和は崩れ、もう一方に吸収をされていくだけです。しかし、平和というお湯にどっぷりと浸かっていると、ついついノボせてしまいそれに気付くことが出来なくなってしまいます。
長く国民党の恐怖政治の冷たい雨に晒されてきた台湾人にとってその平和というお湯の温かさは格別なものであったに違いありません。しかし、その余りにも大きな快楽が、彼らを驚くべき速さで蝕み、今回の悲劇を引き起こしてしまったのだとすれば、それは何と皮肉なことなのでしょう。

続く

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

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